「仕事で工夫していることを皆で共有して、皆でレベルアップすることはできないの?」
とあるイベントの帰りにふと言われた言葉だった。
その時の私の答えはこう。
『皆それぞれこだわりがあるから、私などが教えても聞いてはくれないでしょう。美味しいところだけとって、あとはポイです』
調整の上司
4月2日、個人面談があった。
「皆で共有してレベルアップできないの?」と言われて以来、たしかにそういう手段もあるのだなと、もし実現するならどういう風に書き起こせるか検討までした。
書いたものを読み返してみて、これを読んだらもしかしたら参考にして課題をクリアする人もいるのかもしれないとか、新しい視点で品物と対峙できるのかもしれないとも考えた。
「過去の自分はこういうことを体系的に教えて欲しかった」という願望を具現化しているに過ぎないとも思う。だから、この資料は独りよがりな文書であって、大衆向けには書けていないとも考えられる。
資料はまだ未完成で、何をどう伝えたらこういう効果が見込めます!
そう説明ができる段階ではないので、そもそも「こういうアイデアがあります」と伝えるべきか迷った。
迷った挙句に伝えた。笑っちゃうほど清々しく即刻反対された。
そして翌日
その後、課長は部長に何やら相談があるとかで席を外した。
そして再び自分が呼び出された。
技術を共有する件、やはりやってもみても良いんじゃないかと考えている。
この一日で誰とどんな意見が交わされたのだろう?
昨日カウンター攻撃の速さで否決したのに、それを反転させるに至ったのにはどういう理由が隠されているのだろう?
それを聞いて反芻した自分
やっぱり伝えない方が良いんじゃないか?と改めて思っている。
全てを仔細に語ることは不可能だから、散りばめられたヒントから自分なりの答えを見出してもらう必要がある。
中途半端に伝えるくらいなら、いっそ何も言わず他人の楽器をただ見るだけでも学びはあるのではないだろうか。
しかし問題なのは、いま教育の対象にされている人は、随所にヒントがあることに気がつかない人物であること。言ってもわからないのに自ら気付いてもらうなど……果たして希望はあるだろうか?